2017年12月13日水曜日

拘束感

12月12日、茅ヶ崎市の総合病院に入院。朝9時、病院に入って入院手続きをして病室をあてがわれると早速、体温、血圧を測る。もう立派な「ガン患者」。重篤の患者のような気分になる。実際には健康体とまったく変わらないのに。肝臓は「沈黙の臓器」と言われ、本人に自覚症状が全くない。これが肝臓ガン患者の特質と言える。
個室を頼んだのは部屋の中でパソコンやスマホをいじれるから。ちょっと高く1日18,500円。トイレ、浴室があり、かなり広い。しかしインターネットやスマホで外部とコミュニケーションがとれ、完全な「拘束」ではないことが気分を楽にする。テレビはナース・ステーション脇のスタンドで1,000円でカードを買い、それで観るという仕掛け。このカードはテレビをつけている時間でどんどん差し引かれる。10日間の入院で3枚買った。
入院するということは病院の完全支配下に入るということで、やはり「拘束された」という感じは拭いきれない。高級刑務所のような感じ。
看護師(ぼくは看護婦と呼びたいけど)は若くて朗らか、とても優しく親切だ。妙にとんがった奴はいない。
ぼくの76年間生きてきた人生で、入院経験は二度。最初は札幌医大の和田心臓移植があった1968年の翌年、12指腸潰瘍で札幌医大に入院した。次いで1990年代後半にロサンゼルスで肺炎を患い、アメリカの病院に5日間入院した。その時の全費用が6,500ドル(当時の為替レートで100万円近かったと思う)だった。

しかし入院してもやることが無い。久しぶりに司馬遼太郎の『竜馬がゆく』(全8巻)を読み直した。最初読んだ強い感動は最早ない。やはり藤沢周平の方が面白い。
大動脈を切開してカテーテルを挿入、肝臓のガン細胞に抗がん剤を噴射、冠動脈に栓をするという「肝動脈塞栓術の手術、通称”兵糧攻め”は15日の予定である。

2017年12月10日日曜日

周囲の反応

肝臓にガンが見つかって、周囲がいろいろ心配してくれる。
「大丈夫か」というメール、電話をくれた友人も何人かいる。
「いや、今はガンも治る」と励ましてくれる人も少なくない。
予想外だったのは息子夫婦と妻が東京から入院した茅ヶ崎の病院まで駆けつけてくれたことである。家内とは20年前、ぼくを残してロサンゼルスから帰国して以降、別居生活をしている。話もほとんどしない。それがガンと聞いて茅ヶ崎まで来てくれた。
それが今回の事態にあたふたと見舞いに駆けつけてくれた。やはりあ家族である。ちょっぴり驚いた。家族の存在を意外とリアルに認識させられたというのが本音でもある。
もっとも家族や友人、知人ができることは何もない。プロの医者に任せる以外にない。
幸い主治医は元順天堂大学の肝臓医の教授だったプロで、アメリカのピッツバーグへ留学した経験もある。日本でも肝臓疾患に高い技術水準を持っている医師である。
その彼が日本で最高の技術で知られる肝臓ガンの専門医を紹介してくれるという。

2017年12月9日土曜日

ガンの発見と共生

ガンの発見と共生
2017年10月、左の踵が痛むことがきっかけで、肝臓にガンが発見されました。大きなガンが二つ、主治医の診たてでは「レベル4」。以前なら末期ガンで余命3~6ケ月という。驚きました。CTスキャンなど精密検査でガンが確認されたのは2017年12月9日で、同月12日、茅ヶ崎市の湘南東部総合病院に入院、15日に手術を受け、22日退院しました。
2017年~2018年の年末年始は茅ヶ崎市のマンションで独りで過ごし、2018年1月24日、大阪の大学病院で診察を受けました。
ガンと闘うのではなく、「ガンと生きる」というのがもっとも分かり易い表現かと思います。ぼくの長年の友人、岩城裕一博士(南カリフォルニア大学医学部教授)の表現でもあります。
ガンは死滅できなくてもガン細胞が異常に増殖することを抑え、ガンと生きる覚悟が大切と岩城博士は言います。
このブログはガン罹患を巡り、「生と死」をどう考えるか、ガンとの共生をいかに果たすかなどぼくにとって初めての体験を友人知人に伝えたいとの願いで書き綴ります。