2018年4月20日金曜日

元総理夫人

4月19日10時過ぎ、立川駅で砂川闘争のリーダーだった故宮岡政雄の娘さんとお茶を飲んだ。立川と言えばやはり米軍基地と砂川闘争、そして伊達判決です。1959年3月30日駐留米軍は憲法違反という違憲判決が出て、大きく報道された時、一番慌てたのがアメリカです。これでは在日米軍は全て追い出されてしまう。

ダグラス・マッカーサーJR.大使(GHQ連合国軍最高指令長官のマッカーサー元帥と同姓同名、甥にあたる)は藤山愛一郎外務大臣を大使公邸に呼びつけ、藤山外相に最高裁へ跳躍抗告を示唆した。その機密文書が米公文書館で公開され、日本人ジャーナリストが2008年に見つけた。しかもマ大使が田中耕太郎最高裁長官と会談したことも分かり、これは憲法37条(裁判を公正に受ける権利)違反だとして訴訟となっている。

立川は松本清張の『セロの焦点』の一方の舞台であり、米軍基地の街として有名だったが、今では東京のベッドタウンであり、昭和記念公園というイメージに変わった。歴史はどんどん場面を変えてゆく。その中で、米軍の滑走路の延長線上にあった宮岡の農地が今も残っている。そこを「平和のひろば」にしたいと教師だった娘さんは頑張っている。ぼくは友人の書家に書いてもらった「出会絶景」という書を贈った。

この後、都心向けて中央線を走り、スマートな和食店で元総理夫人と会食した。安倍首相の昭恵夫人がマスコミの関心の的になっているので、総理大臣夫人経験者の見解を訊いてみたいと考えたからである。10年以上前、LAから帰国した際、深夜まで彼女と飲んだことがあり、久しぶりだったが変わっていなかった。昼食をとりながら3時間、いろいろ話し合った。歯切れがいい。そこへ友人のS市長から電話。

「北岡さん、マリコは2年前、カリフォルニアで亡くなっていました」

マリコ・ミラー・テラザキ(寺崎まり子)は外交官、寺崎英成とアメリカ人女性、グエン・ハロルドの娘で、日米混血。ワシントン大使館に駐在していた寺崎英成と実兄が外務省にいて「マリコ」を暗号名に使って交信していた歴史をノンフィクション作家・柳田邦男が『マリコ』というドキュメントとして上梓している。まさに昭和戦争史の隠された逸話である。寺崎は戦後、昭和天皇の通訳を務めたことでも有名だ。

ぼくは以前からマリコに会いたかった。10年近く前、『文藝春秋』のエッセイ欄に彼女が書いていたのを読み、できれば日本へ招きたいと真剣に考え、S市長と話し合っていたのである。この話は別途、詳しく書きたい。

改札口で別れる時、元総理夫人に言った。「最近のメディアは確かに劣化していますが、真面目で優秀な若い記者が少しいます。いい記者には会ってあげてください」

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