2018年4月1日日曜日

間にあったお花見

九段の桜を上京してきた後藤正治と観て歩いた。早くも満開が終わって、散ったソメイヨシノの花びらが北の丸公園の水辺を埋めていた。すぐ側が靖国神社だ。

3月末となれば(ぼくのガンも)収まるだろうと予測して、31日、<カホゴの会>を予定していた。鎌田慧・保阪正康・後藤正治を囲んで飲む気楽な会。学士会館の中華料理を予約。現役の新聞記者含め13人が集まった。それぞれ知られたノンフィクション作家や研究者だが、若い記者や編集者は名刺交換。ぼくらは「お久しぶり」といった感じ。飛び入りの政治学者がいたが、彼も会いたかったノンフィクション作家たちに会えて喜んでいた。

みなさん、(ガンを)心配してくださっていたので、ぼくが今回の罹患、抗ガン治療の経過を報告。抗ガン剤とはガン細胞を標的にしているのだが、同時に自分の健康な細胞まで攻撃する。だから現実に抗ガン剤を投薬し続けると副作用が出てくる。ぼくの場合、それが厳しく出て、今回は1回休みをもらったので元気を取り戻した、と語った。

話題はいろいろあったけど雰囲気は和気藹々として、議論し自分が持っている問題点を話し合った。牧久が書いた『昭和解体』が話題となった。国鉄分割・民営化の過程を労使・政官の側面から詳しく書きあげた。牧は元日経社会部記者。常盤クラブ(元国鉄記者クラブ)担当として、国労と国鉄当局の対立抗争をナマ取材した。
また、保阪が西部邁の自死(2018年1月21日)を話題にしたことに驚いた。札幌で子供の頃からの友だちだったそうだ。西部は1960年安保闘争ではブント(共産主義者同盟)の活動家で、後に保守思想に変った。
後藤正治と牧久とタクシーで東京駅へ出て東海道線下りに乗って茅ヶ崎まで帰った。ニュース・ソクラの土屋直也が送ってくれた。実に面倒見がいい記者だ。ぼくと土屋の関係も不思議な縁だった。

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