2018年4月14日土曜日

死のイメージ

「ガン」だと言われ、キョトンとしたのが昨年12月9日。
「このオレがガンか」
主治医に言われるまま入院し、二つあった大きなガン細胞を肝動脈を塞ぐことで死滅させることに成功したことはすでに本ブログで書いた。しかし・・・。だからと言ってガンが死滅したのでも消えたのでもない。肝動脈を塞いだ(兵糧攻め)ことで、ガン細胞の活動を抑えることはできた。だが、またガンが再発する可能性が高く、その度に兵糧攻めの手術を繰り返しているとその手術の効き目が無くなって来るのだそうだ。

それだけでなくぼくの体内のガン細胞は他にいくつも見つかっており、このガン細胞の全活動を抑え込むことが必要で、そのためには制ガン剤投与が必至となる。3月29日、副作用が厳しいため一時、休止した投与を4月4日から再開した。制ガン剤は今までの3/5と量を減らしてもらった。お陰で副作用は少し軽くなった。

と言っても再開後、胸のムカムカ感が収まらず、昨13日朝、二度にわたって吐いた。今も食欲がない。喉のカスレも出てきている。
生涯、このガンと共生する、ということは表現は簡単だが、現実は結構、厳しい。

幸い腫瘍マーカーの数字はグンと落ちている。いい傾向だ。制ガン剤が「効いている」証左と言える。
「ガンに罹る」ということは未だ「死のイメージ」が強く、多くの知人友人が驚き、強く反応したのは全く正しい。ぼくが知らなかっただけだ。ガンは今も「死に繋がる恐ろしい病気」なのである。

そこが分かるまで2か月を要した。「トロイなあ、オレは」自分の無知に呆れ、制ガン剤を睨みつけながら朝晩、ぐっと呑み込んでいる。部屋の小さなごみ箱は薬を包んだ残紙で溢れたので大きな燃えるゴミ袋に移した。

1 件のコメント:

  1.  ずっと読ませてもらっている。抗癌剤投与は苦しいだろうが、再開してよかったと思う。再開したということは主治医が君にその体力が残っていると判断したことを意味する。僕は腫瘍マーカーを人間ドックのたびにやってもらっていた。それをやっていたら君もステージ4になる前に癌を発見できたと思う。もう一つ、エコー検査をやると内臓癌は早期に発見できる。しかし、いずれも今となっては手遅れだ。これからは腫瘍マーカーの値がよくなることを楽しみに頑張るしかない。幸い、よくなっているようだから希望がもてると思う。
     関東四高会の案内が来た。そういえば、君は前回参加したのだったなあ。主催者の有村満氏に今回は君が参加できそうにないと書いておいた。
     この前知人の偲ぶ会が開かれたとき、久しぶりで加藤一夫くんに会った。彼は君のことを知っていた。何か政治運動を一緒にやっていて、君も寄稿している文集を今度出したといっていた。彼は大学院で僕の一年後輩(年齢はたぶん同じ)で、専門もポーランド現代史で同じだ。現在、熊谷に住んでいるそうだ。
     このところサイクリングに精を出している。荒川を東京湾岸から遡って、このあいだようやく秩父まで行った。今度は江戸川を同じ東京湾岸から遡っている。前回は利根川との分岐点の少し手前で断念したが、次回はその地点からさらに遡り、分岐点を越えて、羽生市あたりまで走るつもりだ。もう少し経つと暑くなりすぎて、平地は走れなくなる。
     ではまた。

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