2018年4月9日月曜日

寛解と完治①

在米の徳留絹枝さんからの突然のメールで、いろいろ知ることができ、近々、お会いできることになりました。わざわざ茅ヶ崎まで見舞いに来てくださるそうだ。
意外や意外。これがブログの面白さか。それとも「ガンの脅威」なのか。
ぼくはジャーナリズムの世界で長年生きてきたのですが、驚くべき事実が時として”向こうから”目前に現れます。それほどガンは知名度抜群、しかも「死のイメージ」が強烈で、その割に多くが生きている、という妙な病気。ガンを患って10年過ぎて悠々と生きている人がたくさんいます。でも「治った」と思っていいる人は少ない。

以前書いたが、医学界では「寛解(かんかい)」という言葉があるそうです。「完治」
ではなく「寛解」。一見、治ったように見えるがいつ再発するか分からない、ことを指す。完全に病気を克服した場合は「完治」という。ここで間違ってはいけないのだが、
「寛解」と「完治」は根本的に違う状態、ということです。

もちろんぼくの場合、まだまだ「寛解」にはほど遠い。たぶん生涯、ガンを抱えて生きてゆくことになろう。だから「ガンと生きる」のである。それがようやく理解できてきた。
4月4日の診察ではマーカーは順調に下がってきている。グラフを見せてくれたが、マーカーは極端に右下がりを描いている。体内のガンが小さくなってきていることを示す指標だ。来週、CTスキャンで確認するともっとわかるそうだ。楽しみが増えた。

制ガン剤投与再開で副作用を心配しているが、今のところ軽微で、大きな問題はない。
その日は天王寺の都ホテルに泊まった。早朝、名古屋へ出て浜松でガン・サバイバーと会い、ガンを巡って人間の生き方を話し合った。

昼はお茶で有名な島田で会食。その後、東海道を南下、三島まで行った。その間、お腹がゴロゴロして、ちょっと心配。この列車はトイレがない。吐き気も少しした。こうなると本を読む余裕もなく優先席の隅に持たれてじっと各駅を数えながら三島へ向かった。
富士市は富士川⇒富士⇒吉原⇒東田子の浦と停まってようやく沼津圏内に達する。吉原では昨年、オカリナの先生に習ったことを想い出し懐かしかった。三島駅についてトイレに飛び込んだ。

1 件のコメント:

  1. ブログを読んでホッとしました。季節の変わり目、くれぐれもお体大切になさってくださいませ〜!しげ兄さんが元気になったら一緒に伺わせていただきます〜♪

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