この間、副作用に苦しんできたが、ガン細胞も制御されつつあるのだ。ぼくはこれまで「抗ガン剤」と書いてきたが、臨床医たちは「制ガン剤」という言葉を使う。意味はまったく同じなのだが、「抗」は抗う、というイメージが強く、「制」は制御というニュアンスを感じる。「ガンと生きる」ぼくとしては「制ガン剤」と言った方がいいように思うようになった。これからは制ガン剤と書こう。まさに「ガン・コントロール」である。
マーカーは落ちているが、医師は制ガン剤の投与を再開する、と告げた。ただこれまでより量を減らし従来の3/5にするという。制ガン剤は続けることが大事、再開はやむを得ない。ガンと平和共存するため避けられない措置だ。副作用に苦しむことを覚悟で、制ガン剤投与再開を受け入れざるを得ない。
診察が終わって早めに病院を出られた。ホテルは四日市の都ホテル。近鉄経営の高級ホテルだ。LA駐在員で帰国後、役員に出世した友人に頼んで取ってもらった。診察日が高校の同窓会とぶつかって、出るつもりでいた会合に出られなくなった。せめてホテルだけでも四日市にしようと思ったからである。
新大阪から新幹線は東へ突っ走る。米原から岐阜へ至る車窓に満開の桜並木が遠望できた。しばし鑑賞してスマホをチェックした。と、珍しい人からメールが入っていた。20年も前にLAでホロコーストを生き抜いたユダヤ人をインタビューして書いた『忘れない勇気』(潮出版社刊)の著者。ビジネス駐在員夫人で、シカゴの大学院で修士号を取得した。徳留絹枝という。ご存知かな。真面目にアメリカでアメリカを勉強した勤勉な女性である。美しい人ということも添え書きしておこう。
その彼女からの見舞いのメールだった。彼女の許可を求めたうえ全文、転載する。
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今日、 インターネットで今の日本の政治状況を伝えるサイトを幾つかサー フしていて、北岡さんのことに触れたページを見つけ、 お病気のことを知りました。
昨年末癌が見つかったそうで、 いろいろ心に思うことがおありだろうと想像しております。
私の夫も2009年に肺がんが見つかり、 故郷の鹿児島で治療をするために31年住んだアメリカから二人で 帰国しました。5年間、心優しい家族や良き友人に囲まれ、 治療もありましたが概ね平穏な暮らしができました。 その間生まれた2人の孫の顔を見るためにアメリカに旅行すること もできました。本当に病状が悪化したのは最後の2か月で、 2014年4月に亡くなりました。その後は、 故郷の仙台で95歳の父と暮らしましたが、 その間私自身も乳がんの手術をしました。 そして娘夫婦の熱心な勧めもあり、 グリーンカードを再申請して昨年夏にアーバインに再移住したとこ ろです。娘夫婦と6歳と4歳の孫と暮らしています。 日本を出る前に、 18年間取り組んだ日本軍捕虜米兵に関する著書も出版することが できました。
何やら自分のことばかりになってしまいましたが、 夫と私自身の癌と共に生きたこの9年を振り返り、 北岡さんにお送りしたい言葉は「 北岡さんがこれまで生きてこられたように、 癌とも共に生きて下さい」 ということです。というか、そうしか生きられないと思います。
ご家族や友人の愛に包まれ、良き日々を過ごされますよう、 心からお祈りしております。
徳留絹枝
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彼女が住むアーバインという街はロサンゼルスのダウンタウンからゴールデン・ステイツ・ハイウエイ(国道5号線)を車で1時間ほど南下、元はオレンジ園やイチゴ畑ばかりの農業地帯だった。そこが開発されて今や南カリフォルニアでもっとも美しい最先端技術地域となっている。UCI(カリフォルニア大学アーバイン校)が広大な敷地にあり、キャンパスには白人より黒人より、アジア人が一番多いという新興大学である。何度もGolfに遊んだ。日本の企業、駐在員も多い最も発展し続けている都市である。近くにマツダ自動車の米国現地法人の本社がある。
1997年11月10日、『忘れない勇気』の初版が出て、さらに再販された。表紙裏に彼女の署名がある。翌1998年1月22日、その本をいただいた事が本棚に並べていた書を手に取って確認できた。20年前、ぼくの事務所兼スタジオを訪れてくれた。
地味ながらいい仕事だと思う。駐在員夫人の”手並みぐさみ”的な見方をしていた自分を大いに恥じた。その後、米兵捕虜を日本へ招くなどでぼくは彼女の言動と心優しさを仄聞していたが、まさか、今になってブログを読んでメールをくださるとは予想外。ガンのお陰、というのも変だが、事実、最近こうした展開が多い。
彼女は4月、夫の墓参りに帰国するというので帰米前に会えれば嬉しい。
翌早朝、特急で名古屋へ向かう。なぜか故郷の風景が以前と違って見えた。名古屋駅構内できしめんを食べた。美味しいな、と意識的に思わせながら実際には味覚は未だ戻っていないことを確認した。
ガンは怖いし面白い。
彼女が住むアーバインという街はロサンゼルスのダウンタウンからゴールデン・ステイツ・ハイウエイ(国道5号線)を車で1時間ほど南下、元はオレンジ園やイチゴ畑ばかりの農業地帯だった。そこが開発されて今や南カリフォルニアでもっとも美しい最先端技術地域となっている。UCI(カリフォルニア大学アーバイン校)が広大な敷地にあり、キャンパスには白人より黒人より、アジア人が一番多いという新興大学である。何度もGolfに遊んだ。日本の企業、駐在員も多い最も発展し続けている都市である。近くにマツダ自動車の米国現地法人の本社がある。
1997年11月10日、『忘れない勇気』の初版が出て、さらに再販された。表紙裏に彼女の署名がある。翌1998年1月22日、その本をいただいた事が本棚に並べていた書を手に取って確認できた。20年前、ぼくの事務所兼スタジオを訪れてくれた。
地味ながらいい仕事だと思う。駐在員夫人の”手並みぐさみ”的な見方をしていた自分を大いに恥じた。その後、米兵捕虜を日本へ招くなどでぼくは彼女の言動と心優しさを仄聞していたが、まさか、今になってブログを読んでメールをくださるとは予想外。ガンのお陰、というのも変だが、事実、最近こうした展開が多い。
彼女は4月、夫の墓参りに帰国するというので帰米前に会えれば嬉しい。
翌早朝、特急で名古屋へ向かう。なぜか故郷の風景が以前と違って見えた。名古屋駅構内できしめんを食べた。美味しいな、と意識的に思わせながら実際には味覚は未だ戻っていないことを確認した。
ガンは怖いし面白い。
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