2018年4月3日火曜日

生きている昔

携帯電話に残された名前。朝、返信の電話をかけた。
彼は元々、日本社会党中央本部の国民生活部長だったが、党勢が傾き、書記長だった江田三郎に言われて本部書記を辞めた。公害研究会を立ち上げ、全国を歩いた、いわゆる市民派運動家の親分のような男。政局となると夢中で院内外を動き回るクセが抜けない。
「いや、昨夜、久しぶりに文さんとメシ食っててね。文さんが「北さんのことが書かれている」とある本を示して見せたんだ。なんとか言ったなあ、元新聞記者。いろんな本書いている人。その人の本に北さんの事が書かれていた。それで話題となってね。電話したんだけど繋がらなかった」
文さんとは禁煙運動に人生を賭けた市民運動家。運動を始める前はヘビースモーカーだった。

元新聞記者の書き手はいっぱいいる。本多勝一、内藤国男、斎藤茂男・・・。いろいろ思いを巡らせて、ハタっと気付いた。ポンちゃんと呼ばれた社会部記者。美空ひばりを書いた『戦後 美空ひばりとその時代』が抜群にいい。吉展ちゃん事件を掘り下げた『誘拐』、静岡県の山奥、寸又峡に逃げ込み、人質をとってたて籠った金嬉老事件の『私戦』などノンフィクション作家としていいドキュメントを書き残した。

読売では先輩にあたるが、面倒見のいい人で、ぼくがフリー・ジャーナリストになった時、雑誌の編集長などを紹介してくれた。
「本田靖春」とぼくは言った。
「本田靖春じゃあないか。本田さん。ぼくの読売の先輩記者だ」

彼が以前、『ロサンゼルスの日本人』というノンフィクションを上梓したことがある。1か月ほどロサンゼルスに滞在して書いた人物紹介ルポだった。多くがぼくの紹介だったので当然のようにぼくの名が出てくる。

LAダウンタウンにメインというなんとなく怪しげな雰囲気の地区があり、夜ともなると人通りが途絶える、ちょっと危ない感じで、ビジネス駐在員らは避ける。このメイン通りでカウンター・バーを開いていたミッチャンという日本人女性の店に案内すると本田はすごく気に入り毎夜顔を出して一緒に飲んだ。

それで文さんとぼくを話題にした訳だ。なぜか最近、「昔」の話が多くなっているなあ。これも高齢化現象の影響か。でもその「昔」が今も生きていることが素晴らしい。

その日、4月1日深夜、自宅に戻るとブログに対するコメントがラスベガスから届いていた。元大分新聞記者だった男で、人はいいが、記者としてはイマイチという感じ。Golfはめちゃ上手かった。今はカリフォルニアとネバダの州境で、カジノの現役のディーラーをやっているという妙な奴。見舞いメールの一種だ。全文掲載する。
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北岡さん  術後の経過はいかがですか?
自宅療養中なのでしょか?

10年前に知人から頂いた本の中に北岡さんの力作「13人目の目撃者」を見つけ
久し振りにのめり込んで拝読しました

事件を取材中に本にしょうと思って克明に時間を書き留めていたのか それとも記者の習性で
取材前に日時を記録していたのか また本を書くにあたって後から記憶をたどって時間を割り出したのか、とにかく事件記者の凄さに感嘆しました
それと行間に貴兄の正直な性格がモロに出ていたのもこの本に引き込まれた要因と思います

本の発行から2年後に小生はLAでメデイアの仕事をすることになり、あの当時この本に出会っていたら「三浦事件から〇〇年ロスの日系社会の今」みたいな番組を企画し貴兄に出演のお願いをしたかもしれません

白内障で本を読むのが難しいなか夢中で没頭できたのは久し振りでした
ありがとうございました

安倍隆典の「三浦和義との闘い」ジミー佐古田の「疑惑の仮面上下」もあったので
日本で読もうと思ってます


今週4,5,日  ラスベガスでおよそ20年ぶりIさんに会います
ロス時代の話に花が咲きそうです


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