2018年4月30日月曜日

ガンも地震予知も

桜が終わったというとマンションのつつじが一斉に咲きだした。春爛漫とはこのことを指すのだろう。思いっきり咲く満開の花を見ていると青春謳歌の時代を目にしているよう気がした。オレにもこんな時代があったなあ。
最近、古い映画を観ていると田舎の風景や(オレたちの時代の)学校の校庭、最近見かけなくなった魚屋や八百屋での買い物など見ていると懐かしくてなんとなく涙がこぼれてくる。
4月25日の診察でガンマーカーがぐんと下がったことを書いたが、現実に多くあった小さいガンが消えている。やはり朗報であろう。だからと言ってガンから逃れられたのではない。ここがガン患者の複雑怪奇なところ。主治医は抗がん剤投与を続けることを指示。1日の投与量をさらに減らしてくれた。

にもかかわらず抗ガン剤の副作用は相変わらずで味覚が失われ、食欲がないことがつづき、体重が減って痩せてきた。5キロは痩せただろう。身長161センチの短躯だから普通の身体だったら7-8キロというところか。風呂に入ると「痩せた身体」がよく分かる。あまりいい状況ではない。しかも27,28日と朝、二度吐いた。吐いた後、静養して本を読む。

『浜岡原発の選択』(2011年5月、静岡新聞社刊、復刻阪)を読んでいると原発の未解明部分がよく見えて、ガン治療の相似を思う。要するに現代の科学では解明しきれないことが多いのだ。とりわけ使用済み核燃料の処理方法が全く分からない。

想定外ではなく、当初から「(処理方法は)分からなかったのである。従って福島県内に膨大な汚染土などがそのままビニール袋に投げ込んで並べ、放置してある。一度拡散した放射能は周辺の住民を退避させただけで7年が経った。朝日新聞記者・青木美希が『地図から消される街』(講談社現代新書)を書いた。3月20日の発行で、すぐ送ってくれた。

青木は元々、北海道新聞記者だった。北海道警裏金キャンペーンで菊池寛賞、新聞協会賞を受賞した裏金キャンペーンの実力は記者、キャンペーンはいろんなマイナス面が表面化した。強制的に取材班がばらされ、青木は道新を辞めた。朝日に移ってから311福島原発被害の特別取材班に入り、原発被災地を歩き回った。一児の母親ながら男勝り(これ、差別語ならゴメン)、フットワークのいい新聞記者らしい記者だ。女突破記者と言える。

静岡新聞の鈴木雅之記者からは『沈黙の駿河湾』(静岡新聞社刊)という本送ってきた。「東海地震説40年」という副題がついている。この書の冒頭、地震予知を前提とした大規模地震対策特別措置法が現状にそぐわないことを指摘している。

1994年1月17日午前4時30分、ロサンゼルスのノースリッジを襲った大地震、翌年同月同日同時間、神戸を直撃した阪神淡路大震災。その時、ぼくは世界的な地震学の権威、カルテック(カリフォルニア工科大学)の地球物理学教授、金森博雄博士を取材した。

金森博士は「現在の科学では地震の予知は不可能」と言い「この地球という惑星が生きている限り地震から逃れられない」と断言した。地震対策とは「イチ早く逃げて被害を最小化すること」

これは津波に繰り返し襲われた三陸地方の昔からの”教え”「てんでんこ」だ。「津波てんでんこ」「命てんでんこ」~津波が来たらてんでばらばら逃げろ、命は自ら守れ。要するに「逃げて逃げて逃げまくれ。安全な所まで自分で行け」という教えである。

日本の国会では「予知連は何をしているのだ」と声高に議論していて、ぼくは違和感を覚えた。神戸が襲われた時、一時帰国したぼくが受けた違和感は今も胸に存存している。

「(ぼくら取材陣を指して)あんたら地震が怖かったら月へ行けばいい。あそこは死んだ惑星だから地震はないよ」冗談とも言わず、生真面目な表情で言われた金森博士を今も鮮明に覚えている。ガンも同じ。分からないものへ科学が挑戦するのは頼もしいが「克服」はできない、というのが現状である。

現実を取り間違えてはいけない。ガンは治らない。その認識から出発することこそ大事。副作用は少し楽になった。


0 件のコメント:

コメントを投稿