2018年2月10日土曜日

誤解の誤解

意外と思ったのはぼくなりのガン共生論とガン非戦論~ガンとは戦わない、という宣言に共感してくださるメールが多かったことである。

抗がん剤の投与を猛然と批判したのが近藤誠医師(元慶応大学医学部放射線治療科)であることは有名。1996年に文藝春秋から『患者よ、がんと闘うな』は大きな反響を呼び、対ガン剤論争が起こりました。22年以上も前のことだ。近藤医師の存在をメールで教えてくれたのがノンフィクション作家・後藤正治の手紙だった。後藤は近藤医師にインタビューし、彼の主張をよく理解している。

「ガンバリズムの精神でがんと無理な闘いをすると、命を縮めることになるとはっきり主張した人」(立花隆『がん 生と死の謎に挑む』(文藝春秋刊)

これはこれは・・・とぼくは考える。抗がん剤は百害あって一利なし、か。そんなことはない。抗がん剤で治った人は多くいる。一時は死に怯えたガンから生還してピンピンしている人、以前は不治の病として死ぬしかなかった骨髄ガンが今では抗がん剤投与で延命している同期の記者がいる。延命策は効果を発揮し、罹患しても5年、10年と生きている人も周囲にいる。

ガン対策は多様で、抗がん剤投与はその一つに過ぎない。放射線でガンを焼き切る。ガン細胞に繋がる肝動脈を塞ぎ、ガンを死滅(あるいは縮小)させる。旧臘15日、ぼくが誕生日にこの手術を受けた。大きな二つのガンは死んだ。

ガンそのものを切除する手術は適用患者と不可の患者がいる。ぼくの場合は肝臓にガンが広がり切除手術はできなかった。医師の指摘では10か所くらい大小のガンが見つかっている。

ガン対策には多様な医療技術が実施されている。「最早、ガンは不治の病でない」と言い切る人もいる。現にぼくに対するメッセージにも複数あった。

多くの書が指摘しているのは「ガンは個性がある」という。なんと人間臭い表現か。
だからガン対策も一様ではない。ぼくが現役の新聞記者として札幌医大の和田心臓移植を取材していた時(1968年8-10月)、未だ同大の整形外科講師だった渡辺淳一がススキノの小さなカウンターバーで語った言葉を忘れない。

「医学は科学であって科学でない。言ってみれば人間学というような・・・。だからチャーミングなんだ」その後、渡辺は札幌医大を辞め上京、作家になってベストセラーを数多く世に出したことは周知である。渡辺も2014年4月30日逝ってしまった。前立腺ガンだった。

余談だが、渡辺が講師時代に書いた『小説心臓移植』(後に改題『白い宴』)に登場する新聞記者の一人はぼくがモデルである。酒はもちろんGolfや麻雀など渡辺は生涯、無名のぼくを可愛がってくれた。LAから帰国すると渋谷の仕事場のマンションをよく訪ねた。女優の中原ひとみや久保菜穂子と麻雀をやったこともある。

最近では分子標的剤の投与という、まことに高度医療をイメージさせる治療も行われている。これはガン細胞の異常増殖や転移のような悪さをする遺伝子からできた物質にピンポイントで狙い撃ちにする、という薬で副作用も既成の抗がん剤より少ないそうだ。
TACE(肝動脈化学塞栓療法)と分子標的薬を併用することで生存期間を倍にした実績がある。

2月9日、平昌オリンピックが開幕。北朝鮮から金正恩(キム・ジョウン)朝鮮労働党委員長が”ほほ笑み外交”を選択、美女応援団を送り込んだ。肉親の妹・金与正(キム・ヨジョン)党第一副部長もにこやかな笑顔で任川空港に降り立った。
俄然、平昌五輪は南北朝鮮・韓国の政治・外交の場と化した様相だ。今日は文在寅(ムン・ジェイン)大統領との会食も予定されている。

ガンも朝鮮半島も複雑すぎて素人にはまったく理解不能だが、そこを乗り越える叡智が政治家にあるのかどうか。医学は日進月歩、想像以上のスピードで進化している。それにしても世の中はなんと「誤解の誤解」が多いことか。

10日、石牟礼道子訃報のニュースが飛び込んできた。『苦海浄土』を書き、水俣病を告発したノンフィクション作家。高度成長政策の犠牲者としての水俣病患者たち。水俣病が公式に確認されて60年経っている。その後、経済成長政策は四日市や川崎の喘息病など数多くの公害を生んだ。そのお陰で?・・・今や日本人は美味しいモノを探しまくり、ゆったりと温泉に浸かり、可愛いペットを抱き上げ、パンダの赤ちゃん見たさに上野動物園に並んでいる。

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