2018年2月7日水曜日

空虚と充実

ガンを宣告されて自宅に戻り、しばし呆然。なすべきことがない。「空虚」とはこうした状態を指すのか。
寒々とした部屋で、何分経ったか。急にやらねばならないことに気づく。「終活」~死の準備をどうするか。I-padで「遺書」とか「エンディングノート」という項を探索してみる。いろいろ書いてあるがなんとなく曖昧で実感が伴わない。息子ら一家に迷惑をかけないためにはどうすればいいか。まず脳裏に上ったのがそれだ。

居間には壁面いっぱいに本が並んでいる。ベッドルームやゲストルームも本、本、本で埋まってる。この雰囲気が本好きの自分には幸せだった。しかも多くは友人知人が書いた書である。もちろん著者署名入りの書も多い。その中にはぼくについて書かれた一章もある。
ずらり並んだ書棚を眺めコーヒーを一杯やる。充実した幸福感に包まれた。でも今は単に邪魔な空虚な存在となった。
「これでも(アメリカから)帰国する際、ずいぶん処分したのになあ」と自身に言い訳し溜息を深くつく。それに家具類。箪笥、冷蔵庫、膨大な資料類・・・アマゾンやチリやハバロフスクや東南アジアで買ったり貰ったりした諸部族、諸人種の仮面や飾り物。友人がバードウオッチングで撮った美しい鳥の写真。
でも息子一家が欲しいものは何もないだろう。棄てたくても棄てられないゴミでしかない。

急な話でこれからどうしたら良いか、先がほとんど見えない。五里霧中。主治医は「関西の大学へ行け」という。最新の効果ある注射と投薬で大きな成果を上げている最先端を行くガンを抑え込む技術がある。そこに(治療を)頼むのが一番だ。
だが取り合えず茅ヶ崎の病院でできることをやろうということで入院を指示された。12月12日入院した。現実のぼくは病気の影もない(はずの)健康なのになあ。

ぼくが受けた手術が先に書いた「肝動脈塞栓療法」。肝臓ガンは肝動脈から栄養を受け増殖するが、それを断つため、肝動脈にゼラチンスポンジを注入して肝動脈を閉鎖する。そうすると栄養がガン細胞に届かなくなるから肝臓ガンは壊死(えし)する、という。専門家の間で通常「兵糧攻め」と呼ばれているミニ手術である。20年ほど前に開発されたそうだ。(本ブログ「兵糧攻め」参照)
手術は1時間足らずで終わった。大動脈を鼠径部で切開しただけだから大きな傷はない。一晩、ベッドで静養し出血が止まったらそれで終わり。この手術は成功し二つの大きなガンが死んだ。しかし肝臓には他に10個近い大小のガンが確認されている。広範囲にガンが広がっているため切除手術はできない、と言われた。どうしたらそうしたガンを抑えることができるか。

実績がクローズアップされる話題の大阪の大学病院へ行くことになった。現時点で肝臓ガンでは一番効果があり、実績がある、とプロの評価が高い。いうまでもなく医学の世界では理論以上に実績がモノを言う。スポーツと似ているな、なんて考える。
病院の玄関に入った時、早朝なのに大勢の患者がひしめき診察や治療を待っていた。
なんとなく「充実」という言葉が浮上してきた。
大きな総合病院の患者待合室を肯定的に眺めたのは今回が初めてかも知れない。

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