2018年2月5日月曜日

ガン非戦論

ガン罹患を新聞のコラムに書いたら多くの人々からメールや電話をもらった。
「ガンなんかに負けるな」「北さんなら絶対、勝てるよ、がんばれ」「ガンは治る」・・・それぞれ、かなり驚いてコメントしてくる。でも、ちょっと違うんだな、ぼくは。
「ガンに勝とうと思うな、ガンと生きることが大事なんだ」と考えている。
多くの誤解があるな、と思うのはガンは細菌やヴィールスと違って「敵」ではない。
ガンは自分の身体の細胞の異常増殖である。
立花隆が『がん 生と死の謎に挑む』という書を書いた。
日本人の二人に一人がガンになり、3人に一人がガンで死ぬ。
その意味でガンは由々しき病気だが、人間はガンには勝てない。
なぜか。
ガンは自分の臓器の異常増殖だからガンを攻撃することは「自分の臓器」を攻撃することと同じである。厳しくやっつければそれだけ自分の臓器も傷つくのである。
抗がん剤投与に批判的な近藤誠医師。多くのガン医から攻撃された。でも・・・。
LAにいたころ移植免疫の専門家で、かつ臨床の医師だったぼくの友人が「ガンはやっつけなくてもともに仲良く生きればいいんだよ、北さん」と言ったことがある。彼は札幌医大胸部外科で学んだ。日本初の心臓移植をやった和田寿郎教授の最後の愛弟子だった。
和田教授に言われ、UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)に留学、移植免疫の研究に没頭した。
優秀な論文で世界的に注目された学究で、肝臓移植の父、トーマス・スターツル博士に乞われてピッツバーグ大学の教授となった。
後にUSC(南カリフォルニア大学)に移籍、移植免疫研究所の所長。その彼が「ガンとの共生」を言った。
至言だった。
ぼくは「ガンと闘う」のではなく「ガンと仲良く暮らす」こと。それがもっとも妥当なガン患者の生き方ではないかと考えている。
言わば「ガン非戦論」である。
なんだか国際政治と相似ではないか。

1 件のコメント:

  1.  どうもこのブログのコメントの仕方が分からない。先ほども一つコメントしたが、「投稿」のボタンを押したら、そのまま消えてしまった。おそらく多くの読者が困っているのではないか。
     それはいいとして先ほど書いたことを記憶をたどってもう一度書いてみる。大したことではないが、要するにガンとともに生きるということと、ガンと闘うということは同じことだと思う。というのは、ガンを生命体の一部と考えるのは、ガンを認識する一つの方法だからだ。それまで異物を考えてきたが、そうするとどうしてもガンの本質を見抜けない。ガンを生命そのものと見なした方がよいということだ。免疫というのは生命体が異物を排除しようとすることだが、もしガンが生命体の一部ならこれは排除できない。だから、立花隆は免疫構造の解明に異常にこだわった。
     いずれにせよ、ジャーナリストがガンに直面するということはいいことだ。言い方が悪くて申し訳ないが、それによってふつうなら直面することのない事態に直面する。それを打開できないとしても、どういう状況に直面するのかを分かりやすい言葉で外部に、素人に伝える能力をもっている。それはわれわれにとってたいへんありがたいことだ。
     なお、toyon60への投稿は無事配信されている。人の手を借りなくても、toyon60@googlegroups.comに投稿すれば、全員に配信されるようになっている。なお、ブログについてはそれ以前に僕の方から共通の友人に伝えている。反応があったかどうか分からないが、ブログは読んでいると思う。
     さて、これで投稿できるか。念のためコピーをとって投稿することにする。

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