2018年2月4日日曜日

ガン細胞採取

1月29日夜大阪・鶴橋のビジネス・ホテルにチェックイン。翌朝8時、病院へ向かう。大阪には何度も行ったけど市内を巡ることは少なく車窓の風景が珍しい。
9時20分ころ病院へ着いた。入院センターで手続き、体重、身長を測って病室へ行く。あてがわれた部屋は個室、65号棟の677号室。広々として居心地良さそう。この病院ではテレビはカードを買う必要が無い。無料。10,800円の部屋が満員で入れなかったため風呂、トイレ付きの2万円を超える部屋だった。料金は予約した安い部屋並みにまけてくれた。
茅ヶ崎の病院でも同じだったが看護師(看護婦とい呼びたいけど)がみなさん若くて明るくて親切だ。ぼくの青春時代は看護婦が威張っていたなあ、と半世紀前を想い出す。時代の変化に驚く。息子が生まれた北海道大学病院では労働組合が強く、看護婦は実に高圧的だった。生まれた息子に会いに行ったら「時間外」だと取り次いでくれない。ぼくは怒った。「生まれた子供の親が初めて会いに来ているんだ、犬猫の子供じゃああるまいし」怒鳴ったぼくに頬を膨らまて新生児室へ行き、息子を連れてきてくれた。今も忘れない。その息子が今や48歳となっている。
体温と血圧を測り採血。今日は生検(バイオプシー)の日。ぼくの病んだ肝臓からガン細胞を採取し病理の専門家が調べる非常に重要な検査である。細胞の採取に当たって医師から詳細な説明があった。「インフォームド・コンセント」、これも病院側に義務つけられている。その後、生検のための点滴が始まった。
午後1時過ぎ看護師が迎えに来る。 点滴の袋とスタンドを引きずりながら1階の生検のための採取の部屋にへ行く。ベッドの脇にエコー(超音波)の機器、肝臓を観ることができるモニター。局所麻酔なのでベッドからモニターを観る事が出来た。
ガンの影が映る。医師はモニターを観ながらガン細胞を探るように注射針を進めてゆく。ガンのすぐ側に門脈と静脈があり、注射針がガン細胞に達するのを妨げる。医師は二人、交互に交代しながら慎重に注射針を進めてゆく。
時々、局所麻酔の注射をする。注射針を進める時にはちょっと圧迫感があるが、痛みはほとんどない。ガン細胞を捉えた時、「バチッ!」とちょっと大き目の音がして、注射針がガン細胞を掴んだことが分かる。ガン細胞の採取に成功。
「念のためもう一か所採ります」と医師が独りごとのように言って、針をさらに進め、二つ目の細胞を掴んだ。「バチッ!」
その間、1時間ほど。「門脈と静脈を避けて通るため時間がちょっとかかりました。ご苦労様でした」と、医師が済まなさそうに言った。こうして生検は終わった。凄い技術だなあ。
翌朝までベッドで静養。朝、採血して臓器の周辺で出血が無いかどうかを確認。正常だったのでそのまま退院となった。帰途はタクシーをやめて初めて路線バスに乗り、駅へ向かった。10時は過ぎていたのにバスは結構乗っていた。

1 件のコメント:

  1.  ブログを拝見。闘病しながらこのように冷静に自分の症状や治療の状況を描写できるのは大したものだ。ずっとむかし、立花隆が自分の癌と向きあって本を一冊書き上げたのを思い出す。あれはとてもよかった。癌とは生命そのものだという話だったと理解した。
     昨年のクリスマスの朝、君からの電話で癌に冒されていること、末期癌であることを知った。君がまるで他人事のように快活に話すのを聞いて驚いた。僕は正直言って本当に驚き、うろたえた。その日のうちに共通の友人に君の症状を知らせるメールを送った。おそらくいくつか反応があったことと思う。
     あのとき、1月初旬にでも関西のさる大学病院で治療を受ける予定と聞いたが、それがこれだったのだな。しかし、まだ生検の段階で本格的な治療は始まっていないようだ。末期癌といえどもけっして諦めてはならないと思う。頑張ってほしい。また便りする。

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