2018年3月24日土曜日

再入院

翌朝、茅ヶ崎市の病院へ行った。院長に会う。
「入院しないか。北さん、その方が安心だよ」
彼はぼくが独り生活をしているのを知っている。確かに病院ならなにが起きても完全看護、これほど安心な場所はない。その場で大阪へ行くまで再入院を決めた。
一度、マンションに帰って入院に必要な下着などをまとめ、治験薬ともにカバンに突っ込み、タクシーを呼んだ。

再入院となるとなんとなく気構えが違ってくる。最初は「(病院なんて)高級刑務所、どこからどこまでも監視されている」というマイナスイメージの受け止め方をしていた。今度は逆に考えた。病院は「完全看護」、枕の上のボタン一つ押せば看護師が飛んできてくれる。薬飲むから水が欲しい、と言えばすぐ運んでくる。

ぼくはただ寝ていればいい。考えればこんな安心な場所はない。人間とは勝手な動物だ。再入院ですっかり安心した。廊下を点滴の支柱を引き摺って歩いている患者をみると「ああは、なりたくないな」と見ていたのが今や自分がその点滴を受けることで安心している。実際には点滴は血中の水分を補給するだけでガンとは無縁、あまり意味がない。でも点滴受けているとぼくは立派な患者。このように防御的になるのも抗がん剤の副作用が昂じているからだろう。

病室で主治医と話していたところへ電話が入った。LAで世話になった自動車部品メーカーの社長の奥さんからだった。2,3度電話しても誰も出ないので心配になってはがきを出した返事だった。親しかったその社長は後に本社の副社長となったが、人柄のいい経営者だった。息子はLAでレストランを経営、成功している。

それがアルツハイマーで施設へ入ったそうだ。どこも悪くなかったのに。ぼくは急に「高齢者世代」を痛く感じることとなった。アルツハイマーはガンではないけど厄介な病気である。彼こそ日本の自動車をアメリカ市場へ参入する際のビジネス尖兵だった。今や世界的な部品メーカーとして自動車工業界を席巻している。しかし病気には勝てない。

1980年代、ロングビーチの工場を菜っ葉服を着て歩き、気軽にアメリカ人工員に声を掛けていた。
「Good Morning Jack」「Ha~i 、how are you Ben?」
彼自身もヘンリーという米人名で呼ばせていた。日本人駐在員に米国名をつけることを義務づけていた。アメリカ人に日本名は覚えにくい。ボブやジミーやマークの方が呼び易いし覚えやすい。「郷に入れば郷に従え」を実践している日本人経営者にぼくは敬意を払った。

しばらくしてまた電話。
「どう?」
家内だった。吐いたこと、副作用が思いのほかきつく再入院したことを告げた。
「なにか必要なことあったらいつでも電話ちょうだい」
社交辞令とは思えない情感を感じた。

1 件のコメント:

  1.  入院してよかったと思うよ。僕も前立腺肥大症手術で生まれてはじめて入院というものを経験した。自分の身体を全面的に他人に、病院に預けてしまうということで、自立心の強い自分にはあまりよい予感を与えなかったが、入ってみると安心できる。術後、一晩中血尿を出して苦しく眠れなかった。しかし、誰かが診てくれているという安心感があった。
     邦子さんから優しい電話が入ったようで、よかったな。やはり周囲に身内の者がいないのは不安だ。
     快方を祈る。

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