2018年3月9日金曜日

香葉チャンの戦争

大阪で失った、と思ってばかりいたスマホが出てきた。警視庁遺失物センターから連絡の手紙が届いてわかった。冷たい雨の中、飯田橋駅前の大きな歩道橋を転ばないように上り、トボトボ歩いて、遺失物センターへ受け取りに行く。

買ったばかりの黒皮のケースもスマホと同時に手元に戻った。
もっとも失ったと思ったからスマホは設定をすべて変えたので事実上、そのままでは使えない。なぜか、新幹線の車中で拾われてたそうだ。あと3日ほど待てば実損は無かったのだが、慌てて新しいのを買ったので見つかってもほとんど意味はない。何か使えるのかどうか。今日、ドコモの幹部だった人に会うから聞いてみよう。もっとも彼自身、よく知ら知らないと思うけど。

10時から上野公園で東京大空襲犠牲者の慰霊式。落語家の初代・故林家三平夫人、海老名香葉子さんが毎年、私費で主宰している。香葉子さんの子らはじめ柳家一門が総出でイベントの進行を担当する。

香葉チャンは東京の下町で5代続いた竿師<竿忠>の娘。魚を釣る魚竿を造る職人だ。1945年3月9日夜から10日未明にかけて落とされた焼夷弾でまる焼けとなり、一家は全滅した。幸い香葉チャンは沼津に疎開していて助かったが、すぐ上の兄と二人だけ生き残り、孤児として戦後を生きた。

香葉チャンとはちばてつや、森田拳次ら満州帰りの漫画家連中とハルピンを一緒に旅した。えくぼの可愛いおばあちゃんである。林家三平夫人と知ったのは後のことだ。

カーチス・ルメイについて一言書いておく。アメリカ空軍大将、空軍参謀総長。1906年11月、オハイオ州コロンバス生まれ。日本の家屋は木と紙でできている。焼き尽くす焼夷弾戦法を考案した好戦的な軍人だった。佐藤栄作はそのルメイを航空自衛隊の育成に功績があったという理由で叙勲(勲一等旭日大受章)した。意外と知られていないが人道上許せないのではないか。一晩で10数万人も非戦闘員を焼き殺した軍人である。

1 件のコメント:

  1. カーチス・ルメイへの勲章は本当に納得の行かないものですが、東京空襲始め日本全土の爆撃をあれほど執拗に行ったのは米海軍部隊や米陸軍部隊の日本上陸前に空軍部隊の力を示すためだったそうです。NHKのドキュメンタリーでも証明していましたが、当時陸軍傘下の空軍部隊だったのを独立した米空軍にするのが彼らの悲願だったそうです。そんな悲願のために多くの無辜の日本人が犠牲になり、あまつさえその指揮者に勲章を与えたと聞けば、日本人は誰でも怒るのではないでしょうか。

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