2018年3月4日日曜日

ベンチャー・キャピタル

昨日は33ひな祭り節句だが今や雛人形はテレビ液晶画面で観る時代となっている言えば数年前北海道江差町へ講演に行った時街中雛人形を集めて観光客用に町家に飾っていた最早ごく普通家庭で飾る女子も地方にはいなくなった季節感を感じさせるもがテレビでしか見られないといはつまらない世中だと思

春一番訪れで一時マンション周辺は烈風に晒されたそれでも水が温んだだろ今日は一気に気温が上がって初夏陽気春はまだ浅いけど新緑膨らみを感じ小さく胸が動く四季が巡る日本列島は年中好天気カリフォルニアより風情があっていい間もなく桜が華やかに咲くだろう

今季寒さは厳しかったなあ新幹線で大阪から米原周辺を通過する時大雪に阻まれ名古屋駅手前で数台列車待ち小田原に着いたが午前1時近くでもちろん終電車は終わっていたやむなく小田原からタクシーで茅ヶ崎まで帰ったことはすでに書いた

朝食を終え血圧を測り抗ガン剤降圧剤を飲んだところで電話が鳴った昨年九州大学教授を退いた敬愛している産学連携専門家日本開発銀行今は日本政策投資銀行LA首席駐在員谷川徹だった1995年から数年シリコンバレーで毎月新しい情報通信技術勉強会をやっていた仲間であるアルゴア・ジュニア米国副大統領が提唱した情報スーパーハイエイをなんとかキャッチアップしたい

1994
111UCLAカリフォルニア大学ロサンゼルス校で開かれたテレビ芸術科学アカデミー主催スーパーハイエイサミットで基調講演したゴア上院議員スピーチは感動的な内容だった

ゴアはデジタル革命とい言葉を使い次によに語った
もし自動車が近年に見られるコンピューターチップと同じくらい急激に進歩すればロールスロイスなど25セントで時速100万マイルくらい走れるよになるだろ

そしてぼくらが持っているスマホはそれ以上パフォーマンスを実現している

いま茅ヶ崎駅だが・・・とい谷川メッセージに慌てて返事をしタクシーを呼んだが混んでいてすぐ来てくれないやむなく外へ飛び出し車を探す日曜街を流しているタクシーなんかいるはずがない都合いいことに路線バスがやってきた10数分待たせて谷川と会九大で会って以来7年が経っていた彼はどこも変わっていなかった

谷川は開発銀行当時で竹中平蔵総務大臣郵政大臣などと同期生年代東京大学入学試験が紛争影響で無かった開銀後に名を変えたがLAに駐在員事務所を開設した、当時問題だった日米の貿易摩擦対策として米国からの対日投資を増加させ、また絶好調の米国経済の背景を探る拠点とするためだった。シリコンバレーがこの頃インターネットやベンチャーの勃興で世界の注目を浴び、そのフォローアップは重要な任務だった。初代は小門裕幸後に法政大学教授小門も谷川も若く意欲的とても張り切っていた

その後谷川は帰国して人事部から地方運輸会社副社長ポストを示されたなぜ自分が・・・米国、いや世界の経済を牽引するシリコンバレーのメカニズムや、ベンチャービジネスの本質を日本に紹介しよと熱い思いでいた谷川には、とても承服できる人事ではなかった自分の思いを実現する為には自分で道を切り開かなければだめだと辞表を出したら人事部長が顔色を変え慌てたそ現職部長が、提示された人事案件を拒否して辞めるとい事態が開銀では例ないこと開銀人事のメカニズム、組織秩序の否定に繋がるからだ。

幸か不幸か谷川夫妻には子供がいなかった夫人もあなたがやりたいことをやったらいいじゃないと辞めることに同意してくれた彼は再渡米しままスタンフォード大学客員研究員としてシリコンバレーやベンチャー研究を続けた突然退職を心配したぼくは新宿駅上階喫茶室に呼び出し、「生活は大丈夫かと訊いた
北さん、毎日が晴天下で暮らしているよ晴れ晴れとした日々ですよ
谷川は本気で両手を挙げ楽しそに伸びをしたそんなに息苦しい気持ちだった。組織を離れて長いぼくは谷川の気分を忖度し、彼が今、味わっている解放感を柿間見た。日本の大企業の幹部を経験した人間の本音に触れた気がした
老婆心とはこのことか。ぼくはすっかり安心してLAに戻った

彼はスタンフォード大学を経て九州大学総長からの要請を受け、総長補佐正教授となり九州大学産学連携の中核組織、知的財産本部を創設九大技術をビジネスに結び付ける産学連携仕事で実績を上げたまた学生にベンチャー・スピリットを与え応援する組織、ロバート・ファン/アントレプレナーシップ・センターを起ち上げている。昨年春勇退これからもやりたい産学連携や若者への教育を続けるそ谷川が取り組んだ産学連携や教育こそベンチャー・スピリット具現化だった

ロバート・ファン・センターの開所式にはぼくも参加した。キイノート・スピーカーはベンチャー精神溢れるパソナの南部靖之だたった。南部とも久しぶりの再会。予期せぬ場だったことで南部も目を丸くしていた。東北大震災で東北一帯が大津波に呑み込まれ、福島原発が溶融したのはそ、れから間もなくだった。奇しくもぼくは発生の瞬間もまた東京・大手町のパソナ本社にいた。6時ころだったと思う。南部が本社にやって来て、翌朝未明までテレビを眺めながら大自然のエネルギーを二人で語り合った。
何事も慎重で組織論理が優先する日本ビジネス社会でベンチャー意味を正確に理解できる人材は多くないそこに谷川苦労があったろそれだけにやりがいもあったに違いない余談だがボストンMITマサチュセッツ工科大学でマスターディグリー修士号を取得イギリス技術会社経営をやっていたぼく高校同級生・綾尾慎治が九大で谷川と一緒にベンチャー支援事業を手伝っていた偶然には驚いた。博多で楢崎弥之助(元衆議院議員)らと一緒に飲んだ。不思議な縁だった。

ガン話からすっかり離れたけど谷川がわざわざ遠い茅ヶ崎まで見舞いに来てくれたことは嬉しかった二人は夢中になってLA思い出やシリコンバレーで勉強会SVMF(シリコンバレーマルチメディアフォーラムなど30年前過去と現状を語り合った。周囲にぼくガンなんか気にする者なんて誰もいないもちろんぼくは一向構わない。ガンのお陰で予期せぬ人と楽しい時間が持てた

芥川賞受賞作家開高健がお気に入り蕎麦屋に案内した。谷川は天ぷら蕎麦を、ぼくは大好きなカレー南蛮蕎麦を注文したがやはり味なく大量に食べ残した抗がん剤副作用で味覚が麻痺しているは悔しい明日は茅ヶ崎病院で診察がある味覚現状はきちんと訴えよ




































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